アニメファン必見!有名声優の意外な過去とは?現役人気声優の前職・学歴まとめ

アニメやナレーションで大活躍・超有名声優さんたちの中には、実は声優になる前に意外な職業に就いていた人がいることをご存知ですか?今回はそんな声優さんたちをご紹介します! 声優になる前は〇〇だった!意外な職歴を持つ声優 金田...


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アニメやナレーションで大活躍・超有名声優さんたちの中には、実は声優になる前に意外な職業に就いていた人がいることをご存知ですか?今回はそんな声優さんたちをご紹介します!

声優になる前は〇〇だった!意外な職歴を持つ声優

金田朋子

『おしりかじり虫』のおしりかじり虫役で有名であり、ハイテンションキャラでバラエティー番組でも大活躍の金田朋子さん。あの強烈なハイトーンボイスは一度聞いたら忘れられませんよね!
そんな金田さんですが、声優になる前には様々な職歴がありました。

①株式会社ブルボン
小学校〜大学まで関東学院に通った金田さんは、関東学院大学工学部建築学科を卒業しますが、「1ミリの誤差が大きく結果に関わる建築の仕事は自分に向いていない」ということと、「お菓子が好き」という理由で株式会社ブルボンに就職します。入社後は新潟本社に配属されますが、「雪が多く積もる新潟では背の低い自分は埋もれてしまう」という理由でブルボンを退社します。理由がなんとも金田さんらしいですね!

②高島屋
ブルボン退社後は、高島屋新宿店のおもちゃ売り場で働くことに。その時、当時電通に勤めていたお姉さんから「声優になったらどうか」と声優養成所を勧められ、青二塾の夜間コースに通い始めます。しかし、勤務時間の関係で仕事と養成所の両立が難しいことから高島屋を退職し、勤務時間が一定の仕事に転職することになります。

③銀行員
高島屋退職後は、三井住友銀行の前身となる銀行に転職します。銀行に転職という時点でそその優秀さが窺えます!業務はお客様のお金を預かる貸金庫担当だったとのことですが、特殊な声のせいでお客様からはあまり信用されていなかったとか……。就職面接の際にも「声がふざけている」と思われるなど、何かと声が不利になっていたという金田さんですが、その後青二プロダクションのオーディションに合格し見事声優になることができました!

声のせいで苦労もありましたが、様々な職を経てたどり着いた声優業は、金田さんにとってまさに天職だったと言えますね!

若本規夫

『ドラゴンボール』のセル役や、CM・バラエティーのナレーションでも超有名な若本規夫さん。その独特の言い回しは若本節と呼ばれ、一度は真似した人も多いのでは?
そんな若本さんにも声優になる前にある特殊な経歴があります。

①警察官
早稲田大学法学部出身の若本さん。しかし法律の勉強が面白くないと早々に気づき、授業には出ず図書館で本を読み、少林寺拳法部で4年間体を鍛えていました。
最初は就職する気がなく大学院に進もうとしましたが、案の定試験の結果が散々に終わり結局就職することに。大学の就職部で「何か面白い仕事はないですか?」と聞いたところ、「後ろを見てごらん」と言われ振り返った先にあったのが「大卒警視庁警察官大募集」のポスター。「面白そう!」という理由だけですぐに願書を提出し、試験日当日の夕方には合格していたとのこと。
大学卒業後、警察学校に入校。警察官になった後は交番勤務となり、時には機動隊としても出動していましたが、駐車違反の切符を切る際相手に泣きを入れられ同情してしまい見逃してしまうことも。しかしそのことが上司にバレてしまい叱責されたことで、「自分は法を執行する人間じゃない。警察官に向いていない」と悟り、1年で警察官を辞めることになりました。

②日本消費者連盟
警察官を辞めた後、若本さんは知人の紹介で「日本消費者連盟創立委員会」の事務局メンバーになります。消費者連盟とは、悪質商法から消費者を守る組織のこと。「達成感ややりがいもあり、正義感で人を助けることは性に合っていた」とのことですが、どうやら組織の中で上手くやっていけないタイプだったらしく、いざこざもあり、結局2年で退職することになりました。

③雑誌ライター
警察も日本消費者連盟も辞め「1人で自分の力を高めていける仕事」を探していた25歳の若本さん。その中で雑誌ライターの仕事にありつけたようですが、親分肌の上司ともそりが合わず、「このままだと喧嘩して辞めてしまうだろう」と思っていたそうです。

そんな頃でした。
若本さんが電車の長椅子で寝そべっていた時、棚の上にあった新聞が落ちてきました。そこに書かれていたのは「黒沢良アテレコ教室開設」というオーディション広告。翌日、目を覚ました瞬間にその広告が頭にひらめいた若本さんは「これは面白そうだ」と思いすぐに応募。1週間後にオーディションを受け、全くの素人ながら400人以上の応募者の中から選ばれ見事合格!そこから声優の道を歩むことになります。
ちなみに合格者23人のうち素人は若本さんだけだったそうですが、東北新社のディレクターからの推しで受かったとのこと。その頃から才能を見出されていたのですね!

自伝『若本規夫のすべらない話』の中で「声優はひらめき、瞬発力」と語る若本さん。
警察を辞めた時も、いくつもの人生の方向転換の時も、それは一瞬の決断だったそう。
若本さんの生き方そのものが声優業にも表れているのだと感じました!

日髙のり子

『タッチ』の浅倉南や『らんま1/2』の天道あかねなど多くのヒロインを演じ、ETCの音声も担当するなど幅広く活躍する日髙のり子さん。
今や大御所声優の1人ですが、実は元アイドルだったことはご存知ですか?

①子役からアイドルへ
もともと女優志望だった日髙さんは、10歳で児童劇団養成所に入所し子役として活動を始めます。高校生になると「いとうのりこ」名義でアニメ『ふたごのモンチッチ』の主題歌「ふた子のモンチッチのうた」を担当し歌手デビュー。この歌を発表したレコード会社の担当さんがアイドルセクションへ異動になった際、日髙さんも「アイドルデビューしないか」と誘われます。女優志望の日髙さんは一度は断りましたが、「先にアイドルとして知名度を上げた方がいいのでは?」と提案され、これを受けてアイドルとして活動していくことになります。ここまで見るだけでも、役者に歌手にと日髙さんの多才さが窺えます!

②アイドル時代
1980年、18歳の時にシングル「初恋サンシャイン」でアイドルデビューを果たした日髙さんは、NHKで放送されていた音楽番組『レッツゴーヤング』のオリジナルグループ「サンデーズ」のメンバーとしてレギュラー出演し活躍します。
ちなみにこのサンデーズの出身者には、松田聖子さん、田原俊彦さん、声優の佐久間レイさんがいます。日髙さんと同じレコード会社だった松田聖子さんは、当時事務所無所属で先輩のいなかった日髙さんを気遣い、「何かあったらここに電話して」と言って連絡先を教えてくれ、実際に何度かお電話したそうです。
当初の狙い通り名前は知られましたが、思うような結果は出ずアイドルとしては目立ちませんでした。また、アイドル活動中には、真冬のロケで雪の中に埋められたり、熊と一緒に温泉に入り髪の毛に噛みつかれるなど、危険な仕事をさせられ雑な扱いを受けていたとか。さらに、ラジオ番組『鶴光のオールナイトニッポン』では「売れないともう後がない」という理由で、番組アシスタントの浜田朱里坂上とし恵と3人で「がけっぷちトリオ」と呼ばれていたなど、現在では考えられないほどの超苦労人だったのです!

③そして声優へ
そんな苦労人の日髙さんにも転機が訪れます。それは、当時担当していたラジオ番組でのこと。番組リスナーから「声に特徴があるので声優に向いているのでは?」とメッセージをもらった日髙さんは、1984年にアニメ「超時空騎団サザンクロス」で声優デビュー。翌年には代表作である『タッチ』のヒロイン・浅倉南役で知名度を上げ、その後も『らんま1/2』や『となりのトトロ』など有名作品に多数出演。声優としてスター街道を歩み、誰もが知る人物となりました!

声優だけでなく、現在も歌手活動を精力的に行い、ラジオパーソナリティー、ナレーター、ドラマや舞台など幅広い分野で活躍する日髙さん。その裏には、若い頃からの様々な苦労経験があったのですね!

ファイルーズあい

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』空条徐倫や『チェンソーマン』パワーなど数多くの人気作品で活躍中のファイルーズあいさん。声優業だけではなく、ご自身が描いたイラストによるグッズ制作や、ファッション、コスプレなど幅広く活動している、今大人気の実力派若手声優さんです。そんな彼女も、声優デビューする前にある職業に就いていました。

歯科助手

エジプト人の父親と日本人の母親との間に生まれたファイルーズさん。東京生まれですが、小学校5年生から約1年間はエジプトに留学していました。
幼少期からアニメや漫画が大好きで、特にエジプトから帰国しあまりクラスの同級生と馴染めなかった中学・高校時代には、『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』の主人公空条徐倫のように強くなりたいと憧れていたそうです。そしてそんな『ジョジョ』をきっかけに声優を目指すようになりました。

高校在学中から声優養成所に通いたかったそうですが、親に反対され、絵を描くことが好きだったこともありグラフィックデザインの専門学校に進学しましたしかし3年経って「やはり声優養成所に通いたい」と思うようになり、再度親に相談。母親から「声優になれなかった時、職歴がないと再就職が厳しくなる」と言われたファイルーズさんは、親を納得させるために一度就職することを決意。1年間歯科助手として働き、その後自分で貯めたお金で養成所に通いました。就職に関してファイルーズさんは「デビューは絶対に早い方がいいと思っていたが、就活での自己PRや、ビジネスメールの書き方などは現在にも活きているのでやってよかった」と語っています。

養成所でのレッスンは週1回だったため、子ども好きということもあり、学童や、ジムで子どもに体操を教えるなど様々なバイトも掛け持ちしたそうです。声優デビュー後も少しの間学童で働いていた際には、子役や声優を目指す子ども達から「いつか先生と一緒にお仕事がしたい」と言われてとても嬉しかったそうです!

そして2019年にアニメ『ダンベル何キロ持てる?』紗倉ひびき役で初主演を務め、2022年には『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』の空条徐倫役に決まり自身の夢を叶えました。
夢を諦めず、遠回りしながらも努力を重ね、そしてずっと憧れていた夢を叶えたファイルーズあいさん。
声優を目指す子ども達や若者達にとって、今後はファイルーズさんの生き方が憧れとなりそうですね!

神尾晋一郎

THE FIRST SLAM DUNK』流川楓、『さんぶるスターズ!!』の鬼龍紅郎などを演じている、低音ボイスが魅力的な神尾晋一郎さん。声優業の他にも「劇団丸福ボンバーズ」での俳優業や、純文学と音楽を掛け合わせた間宮丈裕さんとのユニット「KATARI」のメンバーとしても活動するなど様々な取り組みを行っています。そんな神尾さんは、ある特殊な職業から声優へと転身しました。

➀営業職サラリーマンとマジシャンを同時並行
大学院を卒業後、一般企業に就職した神尾さん。そもそも研究職に就こうと思っていたとのことですが、それが上手くいかずサラリーマンになったそうです。
営業職として働いていたある日、仕事終わりにバーで飲んでいた際たまたま隣に座った男性がなんとマジシャンの方でした。その男性とお喋りしているうちに「お兄さんお話面白いですね!マジシャンになりませんか?」とスカウトを受け、それを快諾し神尾さんは会社員と並行してマジシャンとして活動することになりました。
マジシャンとして営業をしていく中で、お客様から「マジックもいいけど声も良いわね」と言われるようになった神尾さん。それまでの人生で1回も声が良いと言われたことがなかったとのことですが、お客様の言葉によって「自分は声が良いんだ」と自覚が芽生えたそうです。そして幼少期に「声優がやりたかった」と思っていたことを思い出し、声優を目指すようになりました。
ちなみになぜプロのマジシャンにならなかったかというと、「誘われて楽しそうだからやっただけ」だったからだそうです。マジックはあくまで趣味であり、趣味にするなら実際に仕事を取ってみようと考え、それが「特技を全部仕事にする」という今の神尾さんの考えに結び付いているそうです。

会社の上司から「男は30歳になった時にやっている仕事が一生の仕事」と言われた当時29歳の神尾さんは、「それなら今しかない!」と思い、周囲からの反対の意見を押し切り、アミューズメントメディア総合学院に通い始めました。
上司には翌年の3月に会社を辞めるという話をしていたため、それまでの1年間で声優事務所に所属しなければならないという、まさに背水の陣だった神尾さん。所属合格の連絡が来たのはなんと会社の退職祝いの宴会中だったそうです!
こうして神尾さんは30歳で81プロデュースへの所属を果たし、人気声優として活躍していくこととなったのです。

「自分自身が商品となって自分を売っていこう」と考え選んだ声優業ですが、その前職であるサラリーマンやマジシャンで培った営業スキルが、まさに自分の声を売り込むということに繋がったのですね。
また、29歳で声優を目指すとなると大抵の場合は「年齢的に無理だ」と言われ、実際にそう言われてきたという神尾さんですが、「29歳から声優になった人が誰もいない」と言われたのに対して「でしょ?だからなれると思う!前例がないのが一番良い!」と返していたと言います。
年齢を理由に無理だと諦めず、ポジティブに自信を持って挑み夢を叶えた姿は、これから声優を目指す人にとっての希望となりそうですね!

まとめ

今回は、今活躍中の声優さんたちの意外な経歴をご紹介しましたがいかがでしたでしょうか?皆さんそれぞれの苦労や転機があり、それが今に活きているのだと感じられたのではないでしょうか。役者にとって経験や苦労は全て芸の肥やしになります。声優を目指す皆さんも「急がば回れ」で様々なことに挑戦し経験値を増やしてみてはいかがでしょうか?